インペリアルの種類と味わい
インペリアル 15年
閉鎖蒸溜所のためオフィシャルから商品はありません。
こちらはアライド・ディスティラリー社から出ていた15年物。
オークションなどではたまーに見かけます。
ボトラーズでは、エリクサーディスティラリーズ社、G&M、シグナトリー社、van Wees社などから比較的多くリリースされています。
昨今人気に拍車がかかり店頭、通販ともにあまり見かけません。
おすすめの飲み方・飲み進め方
これまで誰も見向きもしなかったのに、2018年頃から人気に火が付いたインペリアル。
オーキーでドライ。スイートで可憐な麦感が特徴で、シナモンのアクセントやレモンメレンゲクッキーを思わせる酸味もあります。
20年オーバーのボトルは熟成感もあり、余韻は非常に華やか。
グレンモーレンジィやベンリアック、ベンネヴィスの長期熟成品。あとはアイリッシュウイスキーが好きな方などにおすすめです。
ソーダで割るなどしても面白みがありません。
希少な閉鎖蒸溜所のボトルですし、飲み方はストレートで良いと思います。
ちなみにインペリアルって名前のお酒はいっぱい出てるんですよね。
日本で有名なのは、「サントリー インペリアル(SUNTORY IMPERIAL)」。
これは、東京オリンピックが開催された1964年に発売されたもので山崎蒸溜所に眠った長期熟成のモルトをブレンドした高級ウイスキーです。
あとは韓国でペルノリカールコリアが「インペリアル」というウイスキーを扱っていました(中身は輸入原酒です)。
インペリアルの発祥と歴史
どこで作られているのか?
かつてインペリアル蒸溜所はスペイ川のほとり、アベラワーのキャロンという町にありました。
この地域は「グレート・ノース・オブ・スコットランド鉄道」が開通された1850年代から、約70年にわたり労働者、原材料、完成品の輸送が円滑になったため、ウイスキーの製造が発達しました。
既存の蒸溜所だけでなく、新設されていく蒸溜所の発展が著しい地域でした。
この歴史的鉄道「グレート・ノース・オブ・スコットランド鉄道」のとある駅、スペイ川北側にある、キャロン駅隣の土地を利用して建設されたのがインペリアル蒸溜所でした。
大麦麦芽の乾燥を行うキルン塔も、当時流行っていたパゴダ屋根ではなく、遠くから見てもはっきりとわかる王冠のデザインで目を惹いていたといいます。
今ではその建物のほとんどは解体されてしまいましたが、2015年に新しくダルメニャック蒸溜所がオープンしています。
ちなみにインペリアルの名前の由来は、ヴィクトリア女王即位60年を記念する1897年に設立したことから「インペリアル=皇帝の」と名付けられました。
歴史
インペリアル蒸溜所はたくさんの操業停止と再開を繰り返してきました。
1897年、キャロンの地に建てられたインペリアル蒸溜所の創業者はトーマス・マッケンジー。
彼はタリスカー蒸溜所を父親から相続し、自らダルユーイン蒸溜所を操業するなど、ウイスキー事業ですでに成功を収めていた人物でした。
インペリアル蒸溜所はダルユーイン蒸溜所の第2工場。事業拡大のために建てられた蒸溜所であり、建設はかなり大規模なものでした。
1898年、トーマス・マッケンジーはタリスカーとダルユーインの事業を統合した、「ダルユーイン・タリスカーディスティラリーズ」を設立し、インペリアルもそのうちに入ります。
しかし1899年、「パティソンズ事件」というパディンソン社の帳簿不正を発端とした、ウイスキー業界の倒産ラッシュに巻き込まれてしまいます。
供給先のブレンド業者であるパティソン社は倒産。その煽りを受け、1900年にインペリアル蒸溜所は操業停止。ここから20年ほど眠りにつくことになります。
中小蒸溜所が潰れていくなか、ウイスキー業界で急成長していたのがDCL(Distillers Company Limited)というコンソーシアムでした。
DCLとは現ディアジオの前身と言える事業共同体のことで、1877年にローランドのグレーンウイスキー製造者6社により創立されました。
当時フランスでフィロキセラという害虫の猛威により、著しくワインやブランデーの生産が落ち込んでいたため、ウイスキーの需要は益々大きくなっていました。そのため所有者による運営はそのまま、協力体制を取る形で会社を統一していったのがDCLでした。
1916年、インペリアル蒸溜所が眠りについたまま、ダルユーイン・タリスカー社はDCLに部分的に買収され、3年後の1919年には約20年ぶりの再稼働を果たします。
ですが1925年にインペリアル蒸溜所はふたたび操業停止。1930年にDCLがインペリアル蒸溜所を引き継ぎますが、今度はここから30年ものあいだ稼働していません。
1955年、DCJの子会社であるSMD(Scottish Malt Distillers)社のもと30年ぶりに創業再開。1964年にはウイスキーブームが本格化したこともあって設備が拡大され、インペリアルは復活の兆しを見せますが1985年にまたもや操業停止。インペリアルの苦難は終わりません。
1989年5月、停止したままのインペリアル蒸溜所はアライド・ディスティラーズ社に売却されます。
その後1991年から7年ほどの期間で稼働を再開させましたが、1998年に再度停止。アライド・ドメク社のもと、2000年に閉鎖されました。
2005年にはペルノ・リカール社がアライド・ドメク社を買収し、インペリアルはペルノ・リカール社の傘下になり、「今後、操業再開や改築などは行わない」と発表され、そのあと跡地は宅地として売り出される予定でしたが買い手が付きませんでした。
そして2012年になり、ペルノ・リカールのシーバス社が、「インペリアル跡地に巨大蒸溜所を建設する」と発表。
2013年にインペリアル蒸溜所施設は解体。インペリアルの名称が引き継がれることが予想されていましたがそれも実現せず。こうしてインペリアルは蒸溜所はウイスキーブームの本格的な波に乗ることなく、最期を迎えることになりました。
もともと敷地には巨大な建物がそびえ立っていましたが、現在はダルメニャック蒸溜所となっており、2015年から正式にオープンしています。
完全に解体されたインペリアル蒸溜所かと思われましたが、ダルメニャック蒸溜所の近くに古い貯蔵庫らしきものがあり、
ひっそりとインペリアルの意思は受け継がれているのかもしれません。
インペリアルの製造方法
インペリアルで生産されていた原酒はほとんどがブレンデッド用に使用されてきました。主なブレンドはバランタイン、ティーチャーズ、オールドスマグラーなど。
ウイスキー専門家の故マイケル・ジャクソンがひいきにしていた蒸溜所としても知られています。
最終的な年間生産能力は年間160万リットルで、仕込み水は蒸溜所近くのバリントム川の水を使用していました。原料はノンピートですが、古いものにはスモーキーでコクがあったといいます。
1964年にSMD社のもとで設備が強化されましたが、それ以前は独自の製麦で手作業によるフロアモルティングでした。
設備強化以降はサラディン式モルティングというものにとって変わり、製造の効率が上がります。
サラディン式モルティングとは、1800年代後半にフランスのサラディン氏によって考えられた製麦法のことで、部屋のように大きい50メートルほどの容器(サラディンボックス)に厚さ1m以上まで大麦を入れ、下から空気を送って撹拌する方法です。
手作業のフロアモルティングよりも大幅に効率が上がり経済的で、いくつかの蒸溜所がサラディン式モルティングを導入していました。
ドラム式モルティングが定着しだしてからは時代遅れになった製麦法ですが、比較的最近の2010年までタムドゥー蒸溜所が採用していました。
発酵槽はカラ松製が6基。容量は56,000リットルとかなり巨大なもので威圧的だったといいます。
蒸留器は初留器が2基、再留器が2基の計4基。製麦設備と同じく1964年の設備強化の際、2基のポットスチルが追加されています。
容量は初留器が18,500リットル、再留器が20,500リットル。洋ナシのような形で、首は徐々に狭くなっているのが特徴です。
ダンネージ式の貯蔵庫は当時では珍しく、アバディーンの赤レンガで建設され、鉄の骨組みを利用して火災による被害から保護した作り。
かつての蒸溜所ではほとんどが石材と木材で貯蔵庫が造られており、どこの蒸溜所でも火災を経験するといわれていた中、初めてその問題を解決に取り組んだのがインペリアル蒸溜所でした。
熟成はアメリカンオークとシェリー樽を組み合わせて使用。基本的にブレンデッド用に回されるインペリアルの原酒でしたが、特にシェリー樽はシングルモルトとして販売されることを意図していたといいます。
オフィシャルボトルのリリースはありませんが、現在でもいくつかのボトラーズからリリースされています。インペリアル蒸溜所の復活の可能性はほとんど見込めないため、ますます希少価値が高まっていくことでしょう。
ざっくり覚える!
「The Lost Distillery」いわゆる閉鎖蒸溜所のひとつ。
スコットランドスペイサイドにて、ダルユーインの第二工場として建てられた、知る人ぞ知るマニアック蒸溜所です。
ティーチャーズなどのブレンド用として使われていたインペリアルですが、ここ数年ボトラーズからのリリースが頻発。
甘やかでシナモンのスパイシーさが特徴的。近年流行りのトロピカルフレーバーが味わえるということで人気となりました。
現在はダルメニャック蒸溜所として稼働しています。